言葉作り

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チャットGPTにない言葉を作らせるのにハマってる。ない言葉だけで会話できるようになりたい。ないから誰とも会話できないけど。この世で自分しか知らない言語。響きがとてもよい。

この言葉があったら「お前はいっつも忘幻ばっかりしてしっかり真在しなさい!」って怒られるだろうな。

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組織

久しぶりに社会に復帰した出戻り社会人なので組織について書く。。

 

良い会社とは誰が入ってもある程度のパフォーマンスが維持される組織のことを指すらしい。

ある程度組織が整備されていて1人1人のやることがだいたい定まっていれば誰が抜けても誰が入ってきてもある程度、組織はワークする。

これが組織としてはいい形らしい。

大きい会社はその大きさゆえにある程度組織として成熟する。分業ができるからである。その代わり属人性は失われる。その人じゃないと出来ないみたいな仕事がなくなる。属人性=やりがいなので安定した大企業に入れば入るほど「あれ?俺じゃなくてもいいのでは?」となるらしい。

 

そもそも人が辞めるように設計されているブラック企業もたくさんある。人がたくさん辞めるようなブラック企業は求人条件が魅力的なことが多い。

最大年収1000万円も夢じゃない!みたいな広告見たことあるでしょ?あれだあれ。

ブラック企業は人が無限に辞めるのでああいう人の集め方をせざるを得ない。「物理的に言ったら不可能ではないかもしれない、その代わり24時間戦えますか?」みたいな給料の条件を普通に載せたりする。

だからブラック企業は永遠に人が入れ替わっている。入りたい人も多いし、出たい人も多い。そもそも会社も「人って消耗品だよね?」みたいな気持ちで人を雇っている気がする。想像だけど。そうすると消耗に耐えうる、心と身体が鋼でできている戦士しか残らなくなる。精鋭中の精鋭、ブラックな思想を内面化した、会社のために死ねるものたちによって会社はさらに真っ黒になっていく。

 

翻って家族はどうか。

良い家族とは会社とは反対で「代替性のなさ」が条件である。それはそうだ。「明日からお父さん別の人のお父さんに転職するから引き継ぎよろしくね。」とか言われても困る。「向こうの家族、条件良いんだよな〜。奥さん綺麗で料理上手だし子供もお前みたいに手がかからないし。ああ〜このブラック家族辞めて〜」とか言われたら最悪である。

だから家族と仕事どっちが大事?って聞かれたら絶対に家族と答えなければならない。会社にあなたの代わりはいるけど家族にとってあなたの代わりはいない。もっといいお父さんに引き継ぐから明日からよろしくは家族には通用しない。たぶん。通用する気もしてきた。

 

だから人は家族と代替性の無さと会社という代替性の間でバランスを取っているんだと思いました。

 

「死にたい」に代わる言葉

今、電車乗ってたら目の前の女の人が公式LINE相手に「死にたい」って書いてるのが目に入ってしまったので。強い言葉には強い引力があるから。

代わりになりそうな言葉リストを作成していく〜

 

・貝になりたい

・猫になりたい

・推しに寿命あげたい

・雲/海だけずっと眺めて一生を終えたい

・星になりたい

・お布団の中で一生を終えたい

・ブラットピットになりたい

・世の中全部思い通りにしたい

・会社/学校を爆破したい

・世の中のみんなが自分よりもちょっとだけ不幸になってほしい

・一旦、この役降りたい

・田舎でのんびり暮らしたい

・宝くじ当てたい

・畑を耕したい

・一旦、リセットしたい

・当たるまでリセマラしたい

・歌って踊って食って寝るだけがいい

・金持ちのイケメン/美女に一生養ってもらいたい

・全部捨てて山に篭りたい

ジブリの世界行きたい

・とにかくチヤホヤされたい

ドラえもん欲しい

・出家したい

・別の精子が勝てば良かったのに

・着床しなければ良かった

・胎児からやり直したい

セミくらいの寿命がちょうどいい

 

書いてて本当に代わりになるのか怪しくなってきた。

でもとにかく「今抱えてる問題から距離を置きたい」が「死にたい」を一番適切に表してる気がする。「死にたい」って言われたら返答に困るけど「他の精子に一等賞、譲れば良かったわぁ」ならなんだか友達になれそうな気がする。単なる言葉のあやだけど。

どれかしっくり来た奴があれば持っていってね。

 

 

遺伝子の世界史

面白かった本の面白かった話を書き残しておく。

 

以下、本のタイトル。

「マンガ 構造がわかる世界史」と「3時間半で国際的常識人になれるゆげ塾の速修 戦後史 欧米編」

 

遺伝子と世界史の物語。

 

1つ目、ウサインボルトの足が速い理由。
ウサインボルトはジャマイカ人である。
ジャマイカにはボルト以外にも足の速い人がたくさんいてオリンピックではだいたい表彰台を独占している。ジャマイカ人は遺伝的に足が速い。
遺伝的なら他のアフリカ人も速そうだけどなんでジャマイカ人はその中でも特に足が速いのか?
時は大航海時代まで遡る。
昔、奴隷貿易が盛んだった頃、ヨーロッパ人はプランテーションのためにより良い労働者を必要としていた。
一部の奴隷主はガタイの良い女とガタイの良い男を交配させてより良い遺伝子を持った労働力を作ろうと模索したりしていた。今、人間がペットにやってることとほぼ同じ。

ジャマイカはコーヒー豆の産地として有名だった。コーヒー豆は高い傾斜、急斜面で栽培されることが多いため作業もかなり過酷を極めたと言われている。そこでヨーロッパの人々は黒人の中でも足腰が丈夫な人を選りすぐってジャマイカに送り出した。過酷な作業に耐えきれず人が死んでは入れ替わり死んでは入れ替わりを繰り返した。その選別作業が延々と繰返され、最強の足腰を持った人種が生まれた。それが今、ジャマイカの陸上での目覚ましい活躍に繋がっていると考えられている。

もう1つはロシア人に美女が多い理由。
第二次世界大戦で敗北したロシアはもうそれはとんでもない数の兵士を失った。
この戦争のせいで男女の人口比のバランスが極端に崩れた。男女比が大きく崩れると美人しか結婚できなくなる。こうして美人の遺伝子のみがバトンを繋ぎ今にいたる。
ちなみにロシアの近くのベラルーシはスーパーモデルをたくさん輩出してることで有名らしい。ベラルーシ独ソ戦の激戦地。


ウサインボルトはえーーとかロシア人きれーーとかの背景に奴隷とか戦争とかそういう暗い背景がある。

強い遺伝子が生き残るのは世のことわり。

環境に適応できない生き物は遺伝子を残せず死に絶えるしかない。

 

今生きている人間は全員、何億年というとんでもない歴史の遺伝子バトルを勝ち抜いてきた選ばれし超エリート遺伝子である。

そう考えるともうちょっと自信を持ってもいいよな。

 

値段とは???

夜バラナシを歩いていた時のこと。

 

インド人、急に走ってやってきて自分の手を握り出す。

自分「なんだなんだ急に」

インド人「手を揉ませてくれ。君の手をマッサージしたいんだ。」

自分「やだよ、どうせお金取るんだろ?」

インド人「いいや、これはフリーのマッサージだ。任せてくれ。私は日本人が大好きだ。そして君はブラザーだ」

自分「あ、そうなの?まぁ無料なら有り難く揉んで頂こうかしら」

インド人、手を握ってモミモミし始める。

インド人「いやーインドと日本はグッドリレーションシップね。ワタシ、長澤まさみにも会ったことある。日本人大好き。」

手モミモミ。

自分「へーそうなんだ。あーめっちゃ気持ちいい。あー極楽。おじさんマッサージの達人だね」

インド人「そうだろう?君は良いやつだから肩と背中もオマケしちゃうよ。特別に100ルピーでやってあげるから」

自分「100ルピーかぁ。うーん手のマッサージ気持ちよかったしまぁいいか。お願いします。」

インド人「ほいきた。じゃあそこのベンチに横になって。さぁほら。」

インド人、大勢の人が座ってるデカベンチを指差す。

大勢に人に見られながらマッサージされるのは少し恥ずかしかったが素直に横になる。

みんなに見られながらインド人に肩や背中をマッサージしてもらう。

上手い。モミモミ。

自分「いやーきもちよかった。ありがとう。100ルピー払うよ。」

100ルピー札を差し出す。

インド人「君は運がいい。今回はスペシャルサービスで下半身もやってやる。もっかい寝ろ」

自分「いやもういいって。やって欲しいけど今ちょうどお金ないのよ。」

インド人「オカネ、ジュウヨウジャナイ。これは僕の気持ちだ。やらせてくれ。」

自分「そんなことある?本当に金取らない?」

インド人、モゴモゴうなづく。

インド人、下半身のマッサージをおもむろにはじめる。

自分「親切なインド人もいたもんだ。お金は重要じゃないだってさ。そんな人もいるんだね。」

マッサージが終わる。

自分「あー気持ちよかった。ありがとうね。はいこれ100ルピー。」

インド人、真っ直ぐこちらの目を見てくる。

100ルピーを受け取ろうとしない。

インド人「本当に100ルピーでいいの?」

は????

ふと思い出す。チップか。

自分「ああチップね。ごめんごめん30ルピーくらいでいい?」

インド人、じっと目を見つめてまた受け取らず。

インド人「あなたはワタシのマッサージでとても幸せになった。幸せになった分払ってくれ。

ハウマッチハッピー、ユーペイ。」

ハ、ハウマッチハッピー、ユーペイ?

初めて聞く単語の並びだ。

面白い。ここはインド。そして俺は貧乏金なし。

時間だけは無限にある。

ここは値切るに限るでござる。

自分「いや勝手に俺の幸せを決めないでくれよ。

ちょうど100ルピーくらいの幸せだったよ?まぁよくて150ルピーくらいの幸せだったね。」

インド人「いーやお前はとっても気持ちよさそうにしてた。あの顔は確実に500幸せはいってたね。」

自分「500幸せ!?笑わせないでくれ。俺は500も幸せになった覚えはない!せめて200幸せだ。」

インド人「あんな気持ちよさそうにしといて200幸せなわけないだろ!お前はもっとハッピーだったはずだ。せめて300幸せだな」

自分「くっこいつ…。しぶといな。何でこんな堂々と俺の幸せを決めてくるんだ。でも言われてみれば300幸せくらいあったような気がしないでもないな。あれ?どうだったっけ?」

インド人「ほれ見ろ。お前は幸せだったんだ。

さぁ金を払え。」

自分「んーーーー。納得がいくようないかないような。まぁもう300幸せくらいだった気もするし考えるのめんどくせえや。払っちゃうか。」

自分、300ルピー差し出す。

インド人、目にも見えないスピードで300ルピーを奪い取る。

「やっぱり200幸せだった!」とごねる時間を与えてくれない。敵ながら見事な手捌きである。

インド人「まいどあり!君は最高のお客さんだ!日本人大好き!」

相場よりもぶん取れたのだろう、インド人はご機嫌そうにそう言って去っていった。

自分「あれ?値段ってなんだっけ?なんなんだよハウマッチハッピーユーペイって。値段ってこんな感じで決めるやつだったっけ?」

言語②

 最近、英語では割と陽気にコミュニケーションできる事を発見した。理由はいくつかあると思うけど一番でかいのはあまりに語彙が少ないからであると思う。知ってる語彙がそもそも少ないので候補の中から選ぶという作業がない。1種類しか知らないからどの言葉を使おうかと悩む時間がない。そうするとスムーズに言葉が出てくる。選ぶ作業がないコミュニケーションは楽でストレスがない。細かいニュアンスって必要だったっけ?ってなる。

 

言語の違いも大きい。どっかの偉い人が

「人は国に住むのではない。その国の言語に住むのだ」とか言っていた気がするけれどその通りだと思う。言語で人は思考するんだから言語が違えば考え方が根本的に違うのは考えれば当たり前だよね。

そもそも相手を全部you、自分を全部Iで済ませられる文化とは考え方が違うに決まっている。御社、貴社、ワタクシ、朕、あなた、お前、貴様、オデ、貴殿etc。ありすぎ。どれ使えばいいの?めんどくさすぎ、まぢ病む、もう無理。ここら辺に不幸の一因がある気がする。語彙が少ない言語圏の人はシンプルな思考回路な人が多い気がするし世界一語彙が多いギリシャとかは哲学者とかがいっぱい出ててそういうことだなとも思う。

ここまでそういう気がするってだけで文章を書いているので何も根拠は無いけれど。

 

翻訳機の発達のおかげで言語を学ぶ必要性はどんどん薄れている。ただ言語を学ぶことの一番のメリットは自分の中に新しい考え方を構築することだと思う。言語を学ぶということはダイレクトにその国の文化や国民性の土台、一番根本の部分について学ぶことだと思う。自分の中に別の国の考え方を取り入れられるってめっちゃ素敵じゃない?

 

今、また訳あって英語を勉強しているのだけれど翻訳機があるからいいじゃんと気持ちがすぐ折れてしまう。コミュニケーションを目的にするとやる気出ないからこうやって勉強する理由をペタペタ作ってる。ぼちぼちやらねば。

 

言語。

言葉は難しい。

自分の伝えたいことが正確に伝わったという手応えを感じたことがあまりない。そしてこちらも相手の伝えたいことを正確に理解することができない。だからなるべく正確に伝わるように文章を書いてみている。

そもそも言葉に対する定義が違う人間同士でコミュニケーションが表面上成り立っていること自体が奇跡だと思う。自分の伝えたいことを限られた語彙の中から選び出して言葉にするということをやっている。だが少ない語彙の中からしか選べないのでどうしても大は小を兼ねる系の言葉を使うしかない。その幅広く解釈できる言葉をとりあえず1つの具体的な解釈として受け取り、また投げ返す。これで会話が成り立っていることがすごい。勉強して語彙を増やせば?と言われればそれまでだけどその語彙を相手が知っていなければキャッチボールはできない。判定がボールになるだけである。だが少ない語彙しかないと大は小を兼ねる系の単語を多用することになる。「やばい」とか「死にたい」とかその類のつよつよワード。

極端な単語になってしまう過程で小さくて自分でもよく分からないニュアンス的な部分は全部削ぎ落とされる。

今度はまっすぐストレートしか投げられなくなる。

このバランスが難しい。自分の意図している言葉が相手にちゃんと伝わっているのだろうか?と思ってしまう。自分の伝えたいことを言葉にする時点でもう伝えたいことからは乖離してそれを相手がどう受け取るかでまた齟齬が生まれる。

なんだか難しすぎる伝言ゲームをやってるみたいだ。